敬老の日は何をする?|地域や家族によって違う敬老の日の体験談

敬老の日は何をする?|地域や家族によって違う敬老の日の体験談

離島の祖母に会うため、敬老の日だけは船で帰っていました|長崎県・34歳・女性

プレゼントより顔を見せることを喜んでくれました

私の祖母は、長崎県の離島で暮らしていました。

私は進学をきっかけに島を離れ、そのまま就職しました。

社会人になると、実家へ帰るのは年末年始とお盆くらいになりました。

敬老の日も、最初のころは何か送ればいいと思っていました。

お菓子。

少し高めのお茶。

ひざ掛け。

毎年インターネットで探して、島へ送っていました。

祖母は電話で「ありがとう」と言ってくれます。

でも、ある年に母から聞きました。

「ばあちゃん、荷物よりあんたが帰ってくるほうが喜ぶよ」

その言葉が少し引っかかりました。

確かに、祖母から電話がかかってくるたびに、「今度いつ帰る?」と聞かれていました。

私はいつも「また時間ができたら」と答えていました。

そこで、その年は敬老の日の連休を使って島へ帰ることにしました。

特別なことは何も知らせませんでした。

港まで母に迎えに来てもらい、そのまま祖母の家へ行きました。

玄関を開けると、祖母は一瞬こちらを見たまま止まりました。

それから、「どうしたと?」と笑いました。

その表情を今でも覚えています。

私は一応、地元では買えないお菓子も持って行きました。

でも祖母は、お菓子より私が帰ってきたことのほうを何度も話していました。

「今日はええ日やった」

夕食の時にもそう言っていました。

翌日は祖母と近所を歩きました。

昔、私が通っていた道。

祖母がよく買い物をしていた店。

小さな港。

子どものころは当たり前だった景色ですが、島を離れてから見ると少し違って見えました。

途中で祖母は何人もの知り合いに声をかけられました。

そのたびに、「孫が帰ってきた」と嬉しそうに紹介します。

私は少し恥ずかしかったですが、祖母にとってはそれも敬老の日の楽しみだったようです。

その年から、私は敬老の日の贈り物を「物」ではなく、「できるだけ帰ること」に変えました。

もちろん、仕事の都合で毎年帰れたわけではありません。

海が荒れて船の時間が変わった年もありました。

それでも、帰れる年はできるだけ帰りました。

祖母が亡くなった今、家には私が贈ったひざ掛けも湯飲みも残っていません。

でも、港から祖母の家まで歩いた景色や、近所の人に私を紹介していた祖母の声はよく覚えています。

敬老の日になると、「何を贈ろう」と考えていたころより、「今年は帰れるかな」と考えていたころを思い出します。

山あいの集落では、敬老の日になると公民館が一番にぎやかでした|高知県・42歳・男性

子どものころは敬老会の余興に出るのが恒例でした

私が育ったのは、高知県の山あいにある小さな集落です。

子どものころ、敬老の日が近づくと地域の公民館で敬老会がありました。

今振り返ると、かなり地域色の強い行事だったと思います。

集落のお年寄りが公民館へ集まります。

婦人会の人たちが料理を準備します。

自治会の人が机を並べます。

そして、子どもたちは余興をやらされます。

私はそれが嫌でした。

小学生のころ、友人と二人で歌を歌ったことがあります。

本当はやりたくありませんでした。

知らないおじいさんやおばあさんの前で歌うのが恥ずかしかったからです。

しかも、普段から近所で会う人ばかりです。

翌日学校へ行く途中に、「昨日よかったぞ」と声をかけられます。

それがまた恥ずかしかったです。

中学生になると余興には出なくなりましたが、今度は会場準備を手伝うようになりました。

机を運ぶ。

座布団を並べる。

お茶を配る。

終わったら片付ける。

当時の私は「どうして休みの日にこんなことをしないといけないんだ」と思っていました。

高校卒業後、私は県外へ出ました。

しばらく地元の敬老会とは無縁の生活になりました。

30代になって久しぶりに敬老の日の時期に帰省した時、偶然その年の敬老会と重なりました。

父から「暇ならちょっと手伝え」と言われました。

昔と同じです。

公民館へ行くと、子どものころ私に声をかけていた人たちが、かなり高齢になって座っていました。

中には歩くのがゆっくりになっている人もいました。

逆に、昔は運営側だった父の世代が、今では敬老会に招かれる年齢に近づいていました。

子どものころ毎年同じように見えていた敬老会が、実は少しずつ参加する人を入れ替えながら続いていたことに、その時初めて気づきました。

久しぶりに会った近所のおばあさんから、「あんた、昔ここで歌いよったね」と言われました。

私はすっかり忘れていたのに、相手は覚えていました。

あんなに嫌だった余興が、誰かの記憶には残っていたことが少し不思議でした。

今では敬老の日が近づくと、公民館の長い机と、お茶を入れていた大きなやかんを思い出します。

私にとって敬老の日は、祖父母だけではなく、地域のお年寄りをみんなで祝っていた日の記憶です。

「年寄り扱いするな」と祖父にプレゼントを返されました|東京都・37歳・女性

70歳なら喜ぶと思っていた私が間違っていました

私には、敬老の日のプレゼントで失敗した経験があります。

祖父が70歳になった年でした。

私は「もう70歳だから、今年からきちんと敬老の日を祝おう」と考えました。

今思えば、完全に私の勝手な判断です。

祖父に暖かそうなベストを買いました。

色は落ち着いた茶色。

店員さんにも「おじいさまへの敬老の日ですね」と相談して選びました。

きっと喜ぶと思っていました。

敬老の日に祖父の家へ持って行き、「敬老の日だから」と渡しました。

祖父は袋を開けてベストを見ました。

そして、「こんなのいらん」と言いました。

私はかなりショックでした。

せっかく選んだのに。

ありがとうくらい言ってくれてもいいのに。

少し腹も立ちました。

すると祖父が、「俺はまだ敬老される歳じゃない」と言いました。

当時の祖父は70歳でしたが、週に何度か仕事をしていました。

休日には一人で電車に乗って出かけます。

趣味の集まりにも参加しています。

本人には、「高齢者として祝われる」という感覚がまったくなかったようです。

しかも私が選んだベストが、祖父にとってはかなり「おじいさんっぽく」見えたようでした。

「こんなの着たら本当に年寄りになる」とまで言われました。

結局、その日は少し険悪な雰囲気になりました。

帰宅して母に話すと笑われました。

「あの人はそういうの一番嫌がるよ」

私はそこで初めて、祝う側が敬老の日だと思っていても、祝われる側が同じように感じるとは限らないことに気づきました。

翌年、私は敬老の日という言葉を出さず、祖父を食事に誘いました。

祖父の好きな蕎麦屋です。

食事代だけ私が払いました。

その時は素直に「ごちそうさん」と言われました。

それ以来、祖父には「年齢を祝うもの」ではなく、「一緒に過ごす口実」として敬老の日を使うようになりました。

数年後、祖父のほうから「今年はどこへ食いに行く?」と言われました。

どうやら敬老の日の食事は気に入っていたようです。

ベストを返された時は腹が立ちましたが、今では笑い話です。

敬老の日になると、相手が何を嬉しいと感じるかを考えるようになったきっかけでもあります。

雪国の祖父母には、敬老の日より冬の準備を手伝うほうが喜ばれました|新潟県・45歳・男性

プレゼントの代わりに物置の片付けをしました

私の実家は新潟県にあります。

祖父母も近くに住んでいました。

敬老の日になると、子どものころはお菓子や手紙を渡していました。

大人になってからは、お酒や食べ物を持って行くことが増えました。

ある年、祖父に「何か欲しいものある?」と聞きました。

すると、「何もいらんから、暇なら物置を片付けてくれ」と言われました。

祖父の家には、冬に使う道具がたくさんありました。

雪かき用のスコップ。

長靴。

防寒用品。

古い除雪道具。

夏の間は物置の奥に入っています。

冬になる前に取り出しやすいよう整理したかったようです。

私は最初、「敬老の日なのに物置の片付けか」と思いました。

でも祖父と一緒に始めました。

古くなった道具を外へ出します。

使わないものを処分します。

雪かき道具を手前へ移します。

かなり汗をかきました。

途中で祖母がお茶と梨を持ってきてくれました。

三人で物置の前に座って休みました。

結局、半日くらいかかりました。

終わった時、祖父は「これで冬が来ても大丈夫だ」とかなり満足そうでした。

私が持って行ったお酒より、物置が片付いたことのほうを喜んでいました。

雪の多い地域で暮らす祖父母にとって、9月は秋を楽しむだけではなく、少しずつ冬を考え始める時期でもありました。

それから私は、敬老の日に何かを買うことにこだわらなくなりました。

庭の作業。

重い物の移動。

冬用品の準備。

祖父母だけでは大変になってきた作業を手伝うことが増えました。

「敬老の日のプレゼント」と言うと祖父は嫌がりました。

だから普通に「手伝いに来た」と言いました。

でも自分の中では、それが敬老の日でした。

沖縄の祖母は、敬老の日でも朝から畑にいました|沖縄県・30歳・男性

休んでと言ったら『何で休むの』と笑われました

祖母は沖縄の実家近くで、小さな畑を続けています。

敬老の日に帰省した時のことです。

私は祖母を食事へ連れて行こうと思っていました。

少し良い店を予約して、昼からゆっくりしてもらう予定でした。

朝、祖母の家へ行くと誰もいません。

叔母に聞くと、「畑にいるよ」と言われました。

敬老の日なのに。

私は驚いて畑まで行きました。

祖母は帽子をかぶって普通に作業していました。

私が「今日は敬老の日なんだから休んだら」と言うと、祖母は笑いました。

「何で休むの?」

本当に不思議そうな顔でした。

私は「せっかく祝おうと思って帰ってきたのに」と言いました。

すると祖母から、「じゃあこれ持って」と野菜の入ったかごを渡されました。

結局、私も畑仕事を手伝うことになりました。

予約した昼食には間に合いました。

祖母は畑から戻って着替え、何事もなかったように店へ行きました。

食事中、「今日は何もしないでゆっくりしてもらおうと思っていた」と話すと、祖母から「動けるうちは動くほうがいいさ」と言われました。

私はそれまで、敬老の日は年を取った人に休んでもらう日だと思っていました。

でも祖母は、普段通り生活できること自体を大切にしていました。

祖母にとって嬉しいのは「高齢者として大切にされること」より、「いつも通り元気に暮らしている自分を見てもらうこと」だったのかもしれません。

その後も帰省すると、祖母は畑へ行きます。

私も最近は「休んで」とは言いません。

代わりに、一緒に畑へ行って重いものだけ持つようにしています。

敬老の日だから特別扱いしすぎないことも、祖母には合っているようです。

敬老の日は片道4時間かけて祖父母の家へ行っていました|北海道・39歳・女性

北海道では同じ道内でも、会いに行くのはちょっとした旅行でした

私の祖父母は、私たち家族が住んでいた町から車で4時間ほど離れた場所に住んでいました。

同じ北海道です。

子どものころは「同じ北海道なのだから近い」と思っていましたが、大人になって考えると全然近くありません。

高速道路を使っても長いです。

途中で休憩もします。

敬老の日の連休になると、父が朝早く車を出して、家族で祖父母の家へ向かいました。

私は車に乗った瞬間から寝ていました。

途中で目を覚ますと、まだ着いていません。

また寝ます。

それでも祖父母の家へ着くと、祖母が玄関まで出てきました。

祖父は家の中から「来たか」と声をかけます。

毎年ほとんど同じでした。

子どものころの私は、敬老の日というより「長いドライブの日」という感覚でした。

祖父母へ渡す絵や手紙も、車の中で最後まで書いていた記憶があります。

ある年、吹奏楽部に入った私は、敬老の日の連休にも練習がありました。

初めて家族の帰省について行きませんでした。

その年、祖母から電話がありました。

「今年は来ないんだね」

怒っているわけではありません。

でも、少し寂しそうに聞こえました。

その時初めて、「毎年会いに行くこと自体を祖父母は楽しみにしていたんだ」と感じました。

高校生になると部活や友人との予定が増え、毎年行くことはなくなりました。

大学進学で北海道を離れると、さらに会える回数が減りました。

社会人になってから一度、敬老の日に久しぶりに祖父母の家へ行きました。

昔と同じ道です。

でも今度は私が運転しました。

4時間運転してみると、父が毎年どれだけ大変だったのかがよくわかりました。

祖父母の家へ着いた時、祖母は昔と同じように玄関まで出てきました。

ただ、歩く速度はずいぶんゆっくりになっていました。

子どものころは「どうして毎年こんな遠いところまで行くんだろう」と思っていたのに、大人になると「会えるうちに行こう」と考えるようになりました。

北海道では、同じ道内に住んでいても距離があります。

私にとって敬老の日は、「遠くても会いに行く日」という記憶が強く残っています。

一人暮らしの母には物より一緒にスーパーへ行くことを喜ばれました|東京都・46歳・男性

高級なお菓子より、重いお米を持ってくれるほうがいいと言われました

父が亡くなってから、母は都内のマンションで一人暮らしをしています。

私も東京都内に住んでいるので、距離としてはそれほど離れていません。

電車なら1時間もかかりません。

ただ、近いからこそ「いつでも行ける」と思って、意外と行きません。

以前の敬老の日には、お菓子や果物を送っていました。

少し高級な和菓子。

有名店の焼き菓子。

母は毎回「ありがとう」と言っていました。

ある年、「今年は何が欲しい?」と聞きました。

母はしばらく考えてから、「別に何もいらない」と言いました。

それでも私が何度か聞くと、

「じゃあ、お米買うから一緒にスーパー来て」

と言われました。

私は拍子抜けしました。

敬老の日なのだから、もう少し特別なものを想像していたからです。

休日に母のマンションへ行き、二人で近所のスーパーへ歩きました。

母がいつも利用している店です。

お米を買いました。

洗剤も買いました。

ペットボトルの水も買いました。

かなり重くなりました。

帰り道、私は全部持ちました。

母は「こういうのが一番助かる」と言いました。

その言葉を聞いて、少し考えました。

私にとってプレゼントは、注文すればすぐ送れます。

仕事が忙しくてもできます。

でも母が少し困っていたのは、高級なお菓子がないことではありません。

重いものを持って帰ることでした。

マンションにはエレベーターがあります。

スーパーも近いです。

それでも年齢とともに、買い物の負担は少しずつ変わっていたようです。

私は敬老の日になると「何を買うか」を考えていましたが、母が欲しかったのは「一緒にやってくれる人」でした。

それからは敬老の日に物を贈ることが減りました。

代わりに、母の家へ行きます。

電球を交換する。

高いところの掃除をする。

重い買い物を手伝う。

そのあと一緒に昼食を食べます。

派手なことはありません。

でも母からは以前より喜ばれている気がします。

商店街の敬老イベントを手伝って初めて近所のお年寄りと話しました|大阪府・52歳・女性

毎日すれ違っていた人の名前を、その日初めて知りました

私は大阪の商店街近くで小さな店をしています。

敬老の日が近づくと、商店街でちょっとした催しをする年があります。

大きなお祭りではありません。

お茶を用意したり、記念品を配ったり、子どもたちの絵を飾ったりする程度です。

私は最初、正直あまり乗り気ではありませんでした。

店もありますし、準備には時間がかかります。

「自治会の人がやればいいのに」と思っていました。

それでも順番で手伝うことになり、受付を担当しました。

当日、近所のお年寄りが次々と来ました。

顔を知っている人がたくさんいました。

毎朝、店の前を通る男性。

夕方になると買い物袋を持って歩いている女性。

いつも自転車で通る人。

でも名前はほとんど知りませんでした。

受付なので、名前を確認します。

そこで初めて「あ、この人はこんな名前だったんだ」と知りました。

ある女性は、私の店ができる前からこの商店街を知っていました。

「昔はここに魚屋があった」

「あそこは銭湯だった」

そんな話をしてくれました。

別の男性からは、私の店について「ここは前より明るくなったな」と言われました。

普段そんな話をしたことはありません。

私は店を開けているので地域のことを知っているつもりでした。

でも実際は、毎日目の前を通る人たちのことをほとんど知りませんでした。

敬老の日の催しで一番印象に残ったのは、祝うことより、「同じ町に住んでいる人を初めて知ったこと」でした。

翌日から、店の前を通る人を見る目が少し変わりました。

名前を知った人には「こんにちは」と言いやすくなりました。

向こうからも声をかけてもらうようになりました。

敬老の日の行事というと、高齢者のために何かをする日だと思っていました。

でも私にとっては、地域で暮らす人同士が少し近くなる日にもなりました。

祖父を祝っていた私が、孫から初めて敬老の日を祝われました|秋田県・61歳・男性

まだ自分はそちら側ではないと思っていました

初めて孫から敬老の日のプレゼントをもらった時は、正直かなり複雑でした。

当時の私は60歳になったばかりです。

自分ではまだ「おじいちゃん」という意識があまりありませんでした。

もちろん孫から見れば祖父です。

それはわかっています。

でも「敬老の日に祝われる人」となると話は別でした。

子どものころ、私は自分の祖父母に手紙を書いていました。

社会人になってからは、両親へ何か贈ることもありました。

ずっと敬老の日は、自分が何かする側でした。

それがある年、娘夫婦が孫を連れて遊びに来ました。

孫は幼稚園に通っていました。

「じいじ、これ」と画用紙を渡されました。

私の顔が描かれていました。

髪の毛がものすごく少なく描かれていました。

実際より少ない気がしました。

横には先生が書いたらしい字で「いつまでもげんきでね」とあります。

娘から「敬老の日に幼稚園で作ったんだよ」と言われました。

私は思わず、

「俺、もう敬老される側なの?」

と言いました。

娘は大笑いしました。

妻も笑っていました。

少しショックでした。

でも孫はそんなことを気にしていません。

「じいじ描いた」と嬉しそうです。

私はその絵をリビングに飾りました。

しばらくしてから、昔自分が祖父に書いた敬老の日の手紙を思い出しました。

当時の祖父も、私から見れば完全なおじいさんでした。

でも本人は、自分をどう感じていたのだろうと思いました。

敬老の日を祝われる側になることは、単に年齢を重ねた証拠ではなく、家族の中で自分の立場が一つ変わった瞬間でもありました。

今では孫から何かもらうのが楽しみです。

ただ、「おじいちゃんだからゆっくりして」と言われると、まだ少し抵抗します。

できるうちは孫と外で遊びたいからです。

孫からもらったスマートフォンが敬老の日の生活を変えました|京都府・68歳・女性

最初は電話だけできればいいと言っていました

数年前の敬老の日、息子夫婦と孫からスマートフォンをプレゼントされました。

正確には端末代を出してくれて、設定まで全部してくれました。

私はそれまで携帯電話を使っていました。

電話とメールができれば困らないと思っていました。

息子から何度スマートフォンを勧められても、「いらない」と断っていました。

敬老の日に息子家族が来た時、孫から「ばあばにも写真送れるようにしたい」と言われました。

孫は県外に住んでいます。

年に何度かしか会えません。

その言葉で少し気持ちが変わりました。

最初の日は大変でした。

文字を打つ。

写真を見る。

メッセージを送る。

ビデオ通話をする。

全部教えてもらいました。

私は何度も同じことを聞きました。

孫から「さっき言ったよ」と言われました。

それでも翌日になると忘れていました。

最初の数週間は、息子へ電話して聞くこともありました。

ところが慣れてくると、かなり便利でした。

孫の運動会の写真が届きます。

学校の行事の動画も届きます。

旅行先から写真を送ってくれることもあります。

以前なら次に会うまで知らなかった日常を見るようになりました。

敬老の日にもらった一台のスマートフォンで、離れて暮らす孫との距離が、それまでよりずっと近くなりました。

翌年の敬老の日には、私から孫へメッセージを送りました。

「今年は何くれるの」と冗談で書きました。

孫からは笑っている顔のマークだけ返ってきました。

昔の私なら、そんなやり取りをするとは想像していませんでした。

物をもらったというより、家族とつながる方法を一つ増やしてもらった敬老の日だったと思います。

敬老の日の思い出は、家族だけでなく地域の暮らしにも残っていました

ここまでの体験談を見ると、敬老の日の過ごし方は本当にさまざまです。

離島へ船で帰る人。

北海道で何時間も車を走らせる人。

雪が来る前の準備を手伝う人。

沖縄で祖母と畑へ行く人。

山あいの公民館で地域の敬老会を開く人。

都市部で一人暮らしをする親の買い物を手伝う人。

同じ「敬老の日」でも、住んでいる場所や生活によって、喜ばれることは変わっていました。

敬老の日らしいことをするより、その人が普段どんな暮らしをしているかを見ることのほうが大切な場合もあります。

豪雪地域なら冬の準備が助けになることがあります。

離れて暮らしているなら、会いに行くこと自体が特別になります。

近くに住んでいても、普段なかなか会わないなら、一緒に買い物をするだけで喜ばれることがあります。

祝われることを照れくさく感じる人もいます。

まだ年寄り扱いされたくない人もいます。

その一方で、孫から初めて敬老の日を祝われ、自分が祖父母の立場になったことを実感する人もいます。

敬老の日は、何を贈ったかより何を一緒にしたかが残ることもあります

敬老の日には、さまざまなプレゼントがあります。

花。

お菓子。

衣類。

食事。

便利な道具。

どれも喜ばれることがあります。

ただ、今回の体験談では、何年も経ってから残っていたのは物だけではありませんでした。

船に乗って帰ったこと。

物置を一緒に片付けたこと。

畑で野菜を運んだこと。

公民館でお茶を配ったこと。

スーパーからお米を持って帰ったこと。

一緒に蕎麦を食べたこと。

孫から似顔絵をもらったこと。

敬老の日だから特別なことをしようと考えるより、「その人と今年は何を一緒にできるだろう」と考えることで、思い出に残る一日になることもあります。

毎年同じ過ごし方をする必要もありません。

今年は会いに行く。

来年は電話だけになる。

一緒に食事をする年もある。

何も贈らず、普段できない手伝いをする年もある。

家族や地域の暮らしが変われば、敬老の日の形も変わっていきます。

だからこそ、その年にできることを一つ見つけるだけでもよいのかもしれません。

敬老の日に関するよくある質問(FAQ)

敬老の日は何をすればいいですか?

決まった過ごし方はありません。

プレゼントを贈る人もいれば、一緒に食事をしたり、買い物や家の作業を手伝ったりする人もいます。

相手が普段どんなことを負担に感じているかを考えると、その人に合った過ごし方を見つけやすくなります。

敬老の日はプレゼントを贈らないといけませんか?

必ず贈る必要はありません。

今回の体験談でも、物を贈るより会いに行ったり、重い買い物を手伝ったりしたことを喜ばれた人がいました。

電話や食事、一緒に過ごす時間を選ぶ人もいます。

敬老の日に「年寄り扱いされた」と嫌がる人もいますか?

います。

年齢を重ねても仕事や趣味を続けている人の中には、敬老の日に祝われることへ抵抗を感じる場合もあります。

「敬老の日だから」と強調せず、食事へ誘ったり、自然に一緒の時間を過ごしたりする方法もあります。

遠くに住む祖父母には何をすると喜ばれますか?

会いに行けるなら、直接顔を見せることを喜ぶ人もいます。

ただし、距離や仕事の都合で難しい場合は、電話やビデオ通話、写真を送るだけでも交流のきっかけになります。

離島や広い地域では、会いに行くこと自体が特別な時間になることもあります。

敬老の日に家の手伝いをするのもプレゼントになりますか?

はい。地域や暮らしによっては、物より実際の手伝いを喜ばれることもあります。

雪国なら冬支度、都市部なら重い買い物、庭や畑がある家庭なら作業の補助など、その人の生活に合った手伝いがあります。

普段一人では負担になっていることを一緒にするのも、敬老の日の過ごし方の一つです。

地域の敬老会にはどんな意味がありますか?

高齢者を祝うだけでなく、地域の人が顔を合わせる機会にもなります。

公民館や商店街などで行われる敬老行事をきっかけに、普段は挨拶だけだった人と話すようになったという体験もあります。

地域によって規模や内容は異なります。

自分が敬老の日に祝われる側になったらどう受け止めればいいですか?

最初は戸惑ったり、「まだ早い」と感じたりする人もいます。

一方で、孫から似顔絵や手紙をもらうことで、家族の中で自分の立場が変わったことを実感する人もいます。

年齢だけを意識するより、家族との新しい関係を楽しむ日として受け止める人もいます。

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